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電話代行の歴史

 戦後しばらくは、電話の架設数自体が少なく、開業しようと思っても電話を引くこともままならず、そのために電話を貸してくれる業者が存在していたようです。とりあえず業者から電話番号を借り、電話番も依頼し、なんとか開業にこぎつけたのでした。
 それが電話代行の草分けと言えるかもしれません。

 昭和30年代に入ると、電話もさほど待たずに架設できるようになり、独立開業する人も増えてきました。事務所を留守にする際は留守番電話をセットして出かけるようになりました。事務用通信機器の始まりです。当初の留守番電話の機能はいたってシンプルで、録音内容を聞くためには事務所へ帰らなければなりませんでした。
 そのうち、キーコールという小型の特殊な機器を公衆電話内で使用し、出先からも録音メッセージが聞けるようになりました。

 昭和40年代、ポケットベル(無線呼出し)が世の中に出回りはじめました。お客様から留守番電話にメッセージが吹き込まれると、即座にポケットベルを自動的に呼び出しました。ポケットベルが鳴るとすぐさま公衆電話に駆け込み、キーコールを当てて用件を聞き出すという光景がよく見られたそうです。

 昭和50年代、留守番電話の普及が進む中、留守中の事務所に電話をかけても電話番と話ができるという画期的な装置が開発されました。かかってきた電話をもう一台の電話で別の場所へかけ直し、受話器の口と口を合わせて送り出すというしくみで、通話中の音質もひどいものでした。が、これが転送電話のさきがけであり、エポックメーキングであったことはまちがいないと思います。
 やがて各社が転送装置の開発競争に乗り出し、高価であるにもかかわらず大企業を中心にどんどん売れるようになりました。
 そのうち、転送装置を販売する業者が転送先も引き受けてしまう電話代行(電話秘書サービス)が始まりました。
 この業者が複数の企業の電話転送を引き受けるようになると、机の上が電話だらけになり、オペレーターが多くの社名を識別できず、混乱を招くようになりました。こうした状況を解決するため、企業名識別装置が開発されました。
 やがて、ビジネスホンが企業に導入されるようになり、電話代行会社はビジネスホンと企業名識別装置を接続させる形でサービスを発展させ、需要を拡大しました。

 昭和60年、日本電信電話公社が民営化され、NTTとなりました。様々なサービスが自由化され、NTTの「転送でんわサービス」が始まりました。高額な装置を必要とせず、プッシュ回線の短縮機能ボタンに転送先電話番号を登録すると局内の交換機の中で転送が実現するという画期的なサービスでした。
 これにより、転送装置の販売は急速に落ち込み、代わりに誰でも電話代行・電話秘書サービスを開業できるようになったのです。電話代行(電話秘書)サービスが乱立し、転送装置を利用する顧客とNTTを利用する顧客とを区別するため、デスクは再び大混乱となりました。ビジネスホンのボタンも不足し、ボタンが数十個も並んだコンソールボックスが登場しました。

 

 時代は昭和から平成へ移り変わり、東京都内の局番は3桁から4桁に増えました。
 大量に電話番号を必要とする企業や電話代行業者が泣いて喜ぶダイヤルインという方式が現れました。実回線の後にバーチャルな番号が付き、この番号が転送先を引き受けることができるようになったため、電話代が大幅に削減されたのです。
 しかし、オペレーターは電話が入る度にダイヤルインの番号と企業名を対比表で確認しながら応対していたので、苦労はまだ払拭されてはいませんでした。そのうちダイヤルインの番号に企業名を登録できるビジネスホンが現れ、液晶画面にカタカナで企業名が表示されるようになりました。

 

 現在のCTI(Computer Telephony Integration)の原型となるPCと連動したシステムが開発されたのは、1990年代に入ってからでした。MS-DOSをOSとし、基本ソフトが入ったフロッピーディスクでPCを起動させるという手間がかかりましたが、着信と同時にPC上に企業名等の情報が表示されるという革命的なシステムで、オペレーターはPC1台を注視しているだけで正確に対応できるようになりました。
 そして1995年、ウインドウズ95が華々しく日本に登場するとPCの性能・機能も飛躍的に向上し、インターネットの普及とも相俟って、次第に現在のシステムへと移行していったのです。